社長就任を打診された時、会社は債務超過状態だった。それでも千数百人の社員の人生を背負おうと決意した、その理由とは... - 現TISファーストマネージ株式会社 顧問 齋藤實 -【1/2】
2014年2月28日 18:08社長になる方法論

団塊の世代として大競争時代を生き抜き、自ら社長として率いた会社を東証に上場させることも果たした齋藤氏。一見すると、戦うビジネスマンを地で行くような逞しさが感じられるが、話を聞いているうちに、本当の齋藤氏は人間の価値を信じる温かさを持った人物であることが見えてきた。
社長業を歴任し、今は大手システムインテグレーターのグループ会社で顧問を勤める齋藤氏。その半生や仕事観についてインタビューしてみた。
戦後から高度成長期へ。大競争時代の空気を肌で感じ、自立心を養ってきた学生時代。
編集部:まずは幼少の頃はどんなお子さんだったのかをお聞かせいただけますでしょうか?
齋藤氏:4人兄弟の末っ子でしたから、親からは半ば放ったらかしにされていましたね。おかげで自立心旺盛な子どもだったと思います。
編集部:いわゆる団塊の世代ですか。
齋藤氏:ええ。戦後間もない頃の生まれで、貧しい時代の空気感を感じながら育ちました。そういったところも、精神的な自立を促される背景としてはあったかなと思います。
TISファーストマネージ株式会社
顧問 齋藤實(65歳)
編集部:自分の未来を自分で選ぶのが当たり前だったと。では、子どもの頃は何になりたいと考えていたのですか?
齋藤氏:実は政治家になりたかったんです。宇都宮徳馬という父が支持していた代議士の方がいまして、その方の正しいことを貫き通す熱血漢なところに大いに感銘を受けていました。どこの派閥にも属さない一匹狼でありながら、言うべきことは誰に対しても臆せず言う。そんな生き方に憧れていましたね。
中学くらいまでは、割と本気で政治家を目指していたんです。でも高校になると数学が面白くなってきて。これからの時代はこういったものが重要な世の中になるのではないかと感じ始めたんです。
編集部:高校生の頃から、しっかりと将来を考えていたんですね。
齋藤氏:今の時代の高校生と比べると、私らの時代のほうが大人だったように思います。なにせ大競争時代でしたから。受験だって100倍200倍が当たり前でしたし、とにかく努力するしかないというのが時代の空気感としてもありましたしね。
編集部:では大学の頃はどんな青年だったのですか?
齋藤氏:勉強から解放されて、音楽を聞いたりアルコールをたしなんだり、青春を謳歌していました。あとは文学系の本をたくさん読みました。
編集部:この頃は将来をどのように考えていたのですか。
齋藤氏:周りの友達は銀行員になる人が多かったのですが、私は製造業に行こうと決めていました。日本の産業の屋台骨を、製造業が支えていかなければならないと考えていましたから。
ただ人生というのは往々にして、自分の思い描いたようにはいかないものですね。
編集部:と言いますと?
齋藤氏:従業員が3000人ほどいる中堅クラスのメーカーに就職したのですが、そこで就いた職業はモノづくりではなく経理でした。バランスシートや財務諸表を作成する仕事を3年間みっちり。数字にはかなり鍛えられましたね。
それから配置転換があり、今度は人事へ。人事制度の策定や労使関係の仕事を9年間。その次は営業を2年半くらいやりました。
編集部:文系の花形職業を渡り歩いてきた感じですね。
齋藤氏:この会社は結局10数年間在籍しましたが、私が社長に就くにあたっての礎になる経験がたくさんできたと思っています。
それでももっとチャレンジしたい、自己実現したいという気持ちが強くなり、転職することに決めました。
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